たまたま、コミュニティセンターの
プログラムにスペイン語クラスの
文字を発見した私は、以前と同じ
理由で、スペイン語クラスに入会
を希望したのでした。
募集クラスは初級か上級クラスし
かなく、初級ではない私は、“上級”
という文字に少し戸惑いを覚えなが
らも、やむを得ずこのクラスに登録
したのです。なぜなら、中級レベル
の私には、選択の余地が無かった
からです、、。
私が入ったこのクラスは、5〜6人
の同じ生徒達が15年以上も習い続
けている、いわゆる昔からのお友達
クラスでした。しかも、そのほとんど
が70歳前後のシニアばかりだった
のは、少々驚きでした。
ESLと同時にケリスデ−ル・コミュニティセンターで受けたレッスンに、
スペイン語クラスがありました。
始めての海外駐在地パナマでの経験がきっかけで習い始めたスペイン語。
当時はパナマで生活するのに不自由がなければ、、っと思って勉強していた
のですが、それでも日常会話程度の実力が身に着くと、折角流暢に話せる
ようになったスペイン語を忘れてしまうのは勿体無いと言う向学心とは程遠い
理由で、帰国後も東京で細々と個人レッスンを続けていたのでした。
どんなに大変な思いをして身につけた外国語も、日頃、それを話す機会がな
いと、たちまち忘れてしまうのですから、人間とは悲しいものです。
時々、後先の事を良く考えないで行動するところのある思い込みの激しい私は、
この時も少々スペイン語が話せるのをいい事に、“何とかなるでしょう〜!”と、
とても楽観的に考えていたのでした。
その甘い考えを、初回のレッスンで気づかされた私は、自分の無謀さに愕然と
してしまったのでした。
よく考えると、私以外の生徒達は全て英語を主として話すカナダ人ばかりなの
ですから、授業等の説明も当然英語で行われます。それらは勘を働かせて、
少しばかりのスペイン語の予備地意識に助けられながらも、どうにかついて行く
事が出来たのですが、訳文と言う課題が出た時、当然それは日本語に訳すの
ではなく、英語に訳さなければならない事をすっかり忘れていたのでした。
また最悪な事に、南米チリ出身の (ゴンザレス)先生はその訳文が大好きだった
ものですから、私にはたまったものではありませんでした。
私の貧弱な英語力を持って、訳文などその場で出来るはずが有りません。
ましてや、宿題で自宅に持ち帰ったとしても、その作業は何時間も要する可也の
重労働なのですから、、、。
現代の様に電子辞書と言う便利な物がない時代でしたから、私は当時レッスンに、
西和(スペイン語→日本語)・和西(日本語→スペイン語)、英和・和英、そして、
西英(スペイン語→英語)・英西(英語→スペイン語)の6冊の辞書を抱えて行って
いました。その上、クラスメート達が翻訳している英語が早すぎて聞き取れなく、
それを録音して自宅で聞き返したり、、、と、並々ならぬ努力を重ねている内、
スペイン語のレッスンに行く日になると、神経性胃炎に襲われ、足取りも重く憂鬱
になり、正に登校拒否寸前とまでなってしまったのでした。
そんなウジウジしている私の姿を見て、ESLのクラスメートのウエンディが
“Junko! You can do it!”とエールを送ってくれたのです。
彼女の励ましで気を取り直した私は、“スペイン語のクラスで生きた英語を勉強
すればいいのだ!”と考え方を変え、スペイン語を日本語で理解するのではなく、
英語で感じようと、その後、5冊も6冊も辞書を持参する馬鹿馬鹿しい真似はやめ
たのでした。
そして、決して分かった振りなどせず、理解できない事は、はっきり“分らない!”
と答え、“だって私は英語のわからない劣等性!”と開き直り、気楽にレッスンに
挑む事にしたのでした。
ラッキーな事に同じ月謝で英語とスペイン語を学べるのですから、これはバーゲンです。
Spanish Class Part 2に続く
Helenのお宅のバルコニーで
Beth(Bobの奥さん) 一人置いて先生のEnriqueとその奥さんのEliana
Bruce、Helen、Bob、前列 私、RogerそしてEd
"Spanish Class" Part 1