さて、住居の問題が一段落すると、次の段階は、"日常の生活をどう送るか?"でした。
見知らぬ環境で生活する際、一番やってはいけない事は、何もしない事です。
退屈はホームシックや鬱病の温床です。
出来るだけ早く、新しい土地に慣れるための環境を作り出さなければなりません。
そして、友達も、、。
それには、まず、現地の言葉を習得する事です。
西海岸に位置するバンクーバーは、カナダ東部のモントリオールがある住民の8割以上が
フランス系のケベック州と違って、イギリス文化を色濃く出す街で、公用語も英語が話されています。
この東部のケベックの印象が強く、カナダは英語とフランス語の二つの言語を操るBilingual
(バイリンガル)の国と思われているようです。
事実、バイリンガルの数は他の国々の中でも比率が高いです。
私のような駐在員の妻達は、住まいが属する地域の運営するCommunity Centre(コミュニティ・
センター:日本で言う公民館の様なもの)が提供するESL(English as a Second
Language:
第二言語としての英語)のレッスンか、個人レッスンに頼る事になります。
このESLは、日本ではあまり耳にしない言葉ですが、英語を公用語で話すアメリカやオーストラリア、
そして、カナダ等では、English(英語)は私達の国語を指し、外国人にとっての英語(ESL)
と区別されています。
余談ですが、以前パナマの地へ主人の転勤で赴いた際は、短期間で覚えた、片言のスペイン語を
話すだけで、"上手だね!何処で覚えたの?"と、何度もパナマ人達に褒められ、有頂天になって
いたものですが、カナダは移民の国! 世界中の国々から色んな人種が移り住み、英語を話すの
が当たり前! たとえ、どんな訛りやイントネーションでも、どんなにめちゃくちゃな文法でも、
話さなければ自己主張が出来ない、自己主張が出来なければ相手にされない、相手にされなけれ
ば生きて行けない、、、、。
カナダ人はもとより、移民、留学生、駐在員の人達、そしてその上、観光客までもが英語を話せて
当たり前の国! それ故、外国人が英語を話せたとしても、誰も褒めやしない!
初めの頃、この様なシビアな印象を受け、それまで外国人に対する"特別扱い"
と言う甘い期待を抱いていた私は、ちょっとショックを受けたのでした。
一方、ケベック州に住む英語の話せないカナダ人も大勢いるのも事実です。
例えば、世界的に有名なポップスの歌手、Celine Dion(セリーヌ・ディオン)も13歳でデビューする
まで英語を全く話せなかったようです。
もう一つおまけに、カナダの首相を10年間勤めたクレティエン氏は、29歳で
連邦議員に当選する
まで、殆ど英語がしゃべれなかったのです。
しかし、双方とも、今や母国語(実は、母国語なのだけれど、、?)の様に英語を話しています。
(しかし、クレティエン氏の英語は、可也のフランス語なまりがありましたが、、、。)
話をESLのレッスンに戻して、、、。
平素は、能率よく授業が出来る個人レッスン支持者の私なのですが、今回は、友達を作る目的を
重視して、同じ環境の人達と出会うチャンスの多いコミュニティ・センターでのグループレッスンに
入会をする事に決めました。
私の住んでいる地域はKerrisdale(ケリスデ−ル)と言い、このコミュニティ・センターでは、ESLの
レッスンを1日2時間、週2回、3ヶ月を一期(ワン・セッション)として、1万5千円程の格安で、
住民に提供してくれていました。
此処には子供や成人向けの語学やアカデミックな授業だけではなく、色々な趣味や運動のクラス
(ジム・プール・スケートリンク)もあり、その上、シニアセンターや図書館が設置され、地域住人達
のための幅広い有益な場所として存在していたのでした。
レッスンでCarolの友人で庭師の資格を持っているAnnの自宅のブリティッシュガーデンにお邪魔した時
(上列左から2人目がChristie、1人置いてCarol、その隣がFuey、そしてAnn、Pankey、Sylvia、Wendy
前列2人目、Lola、一人置いて私、Jenny、Mimi)
私が登録したクラスは、一年前からほぼ同じメンバーで繰り上がっている中国人中心のクラスでした。
新入生は私とFuey(フェイ)と名乗る福建省出身のおばあちゃんとの二人だけです。
中国人にも色々あって、その後ベストフレンドになったWendy(ウエンディ)は上海出身、陽気な
Pankey(パンケイ)はインドネシア、仲良し3人組のJenny(ジェニー)、Candy(キャンディ)とSylvia
(シルビア)、そして、近所に住むLola(ローラ)と中華料理の先生のChristie(クリスティ)は台湾出身、
物静かでインテリのMimi(ミミ)は香港と、正にオリエンタルワールド・クラス!
私以外は皆移民の人達でした。
地域によって生徒の国民色も多少違って来ます。
例えばダウンタウンの語学学校等は留学生やワーキング・ホリディ(これは、二国間の協定に基づいて、
最長1年間お互いの国で休暇を楽しみながら、自由に暮らせる、そしてその間、生活費を稼ぐために
就労することを認める特別な制度です)の人が多い所為か、ヨーロッパ系の生徒が大勢いました。
しかし、私の住んでいた地域は、当時(1993年)1997年の香港中国返還の脅威を感じて移り住んで
来た香港や台湾のお金持ちの中国人達が多かったようです。
そして、私達の先生は、学校で一番の人気者であるCarol(キャロル)という名の、愉快で行動的な、
明るいカナダ人,レディでした。
キャロルの授業はとても分り易いので評判も良く、時々、Field Trip(遠足)でバンクーバーの素晴ら
しい歴史的建物や美しい公園を訪れたり、カナダの音楽や絵画等も事ある毎に紹介してもらえる、
たいそう魅力的な授業でした。
その上、私にとってラッキーだったのは、日本人が私以外他に居なかった事で、英語を話さなければ
クラスメートと会話も出来ない、、、と言う恵まれた(?)環境を得た事でした。
2年程で卒業した私達は、キャロル先生も含め、事ある毎にパーティ等でおしゃべりや食事を重ね、
その後も親交を深めて行きました。
そして、その交友は、幸せにも帰国して何年も経っている現在でも続いているのです。
Carolとクラスメート達の紹介へ続く
" E.S.L." Part1.