FRIENDSHIP
1998年 私のFarewell Party(お別れ会)に集まってくれたテニスフレンド達 Kayさん宅
20数年前、中米パナマから帰国して間もなく、“出会った人全てが友達だ!”
とラテン感覚にとっぷりと浸かって生活していた私に “友達と仲間は別よ!“
と言う人が現れ、当時、マダマダ青臭い私はその意味の違いが分からず、
彼女の苦言を不可解に感じた事を思い出しました。
では、その友達の定義とは?そして仲間とは?
【友達】互いに心を許しあって対等に交わっている人。一緒に遊んだり、
しゃべったりする親しい人。
【仲間】ともに事をする人。同じ仕事をする人。または、其の集まり。
こう辞書には書かれています。
50をとうに過ぎたこの歳になると、幾度となく其の違いを味合わされる様な経験
をして来たのも事実です。
四六時中一緒にいて愉快な時を過ごしたり、戦友のように苦難を乗り越える為共に
戦って来た相手でも、心が通い合っていなかったらそれはただの仲間でしかない、
いや、仲間以下の存在だったのかも知れません。
以前、其の事を突きつけられてとても淋しい思いをした事があります。
一方、何年も会っていないのに、たまに受け取るその手紙のメッセージに真心のこもった
心遣いを感じ、とても癒された事もあります。
友達の定義なんて、平均的な指標を表す統計学や無機質な言葉の説明で分析されるような、
そんな単純なものではないのでしょう。
最近の日本の社会風潮は自己中心主義や利己主義な人が増え、他人を温かく思いやれる
優しい心と平等に人を愛せる心の広さである博愛やその代償を伴わない奉仕的精神を持ち
合わせる人々が、過去に暮らして来たパナマやカナダより少ないような気がします。
日本人は往々にして感情表現が下手だったり、元来、恥しがりやで社交性の乏しい国民では
ありますが、、、。
其の上、歳を取る毎、益々保守的に、より一層排他的になって行くのも事実です。
最近、私自身がそうであるのに気づいて愕然としてしまいました。
“出会った人全てが友達だ!”
若かった頃に感じていたこの思いのように、色々な人々との出会いを大切に、
そして、其の出会いで得た関係を育む努力をして行かなければ、折角手に入れた
掛替えの無い友情も何時かは煙のように消えて無くなってしまうのでしょう。
パナマやバング−バ−、そしてこの日本でも数多い 素敵な出会いを経験し、
魅力ある素晴らしい人々に恵まれている幸せな私ですが、これらの交友関係を続けて行く
努力は決して容易いものでは無く、
しかし、それは絶対作為的であってはならず、自然に心から生まれ出る優しさと思いやりで
成り立っているものであると、その友人達から教わった私です。