Jazz Big Band
気位が高く、批評好きなJazzミュージシャン達を相手に、私の貧困な能力で
編曲した曲を提示するっと言う事は、 まさに厚顔無恥の極め!
とてもとても、そう簡単に出来る事ではありません。
第一、バンドアレンジ自体が究極の知識と技術、そして、センスが必要なの
ですから、、、。

それが、ナント、このバンクーバーで実現出来たのです。
それも、親友のウエンディとのネットワークを使って、、、!
E.S.L.Part2で紹介している通り、彼女はエレクトーンの個人レッスンを
受けていたのですが、ある日、 その先生が是非、私に会いたいと言って来た
のです。
当時、私はダニエルの影響により、コンピューターを使っての作曲活動を始
めていた時期(コンピュータ ミュージック)、その旨をウエンディが彼に話した
事で私に興味を抱いたと言う訳です。
彼の名前はチャック、ダウンタウンの楽器店で働いていました。
自宅に来た彼に私のオリジナルを聞かせたり、一緒に演奏をしたり、
音楽雑談に花を咲かせていた時、 おもむろに彼は、
実は専門の楽器はエレクトーンでは無く、フルート& サックスである事、
ノース バンクーバーのJazz Big Band に所属して週に一度の練習会に
参加している事、そして、当時、バンドにピアニストが居なくて、 ピアノが弾
ける人を探している事等を、私に語ったのです。
そして、“もし良かったら、 そのピアニストとして一緒にやらないか”
と、付け加えたのでした。
Jazzの厳しさ、難しさを人一倍知っていた私は、長い間、練習もしていない、
ましてや、私のピアノ技術では到底ピアノの演奏は無理だと自覚していましたが、
“ピアノの演奏は無理だけど、 もし頑張ってバンドの為アレンジをすれば、
其処で私の曲を演奏してもらえるのかなぁ?”
と、 厚かましく聞いてみたのでした。
そんな私にチャックは、
“取り敢えず、一度、遊びにおいで!”
と、笑いながら答えたのでした。

“旅の恥はかき捨て!” ではありませんが、
海外に行くと気が大きくなって、普段より大胆に振る舞ってしまう、、、、
多少誰しもがそんな傾向にある様に思われます。
しかし、斯くもこんなに厚かましくなれるものなのか!
ナント、初めて Bandを訪ねた日から5年間、
私はそのバンドの専属ピアニストを務めてしまったのです。

Part 2 に続く

私とJazzとの付き合いはかれこれ、もう35年以上続いています。
私の家は母がピアノの講師をしていた理由で、子供の頃からクラシックの音
が家中に溢れ、私にとってそれが生活音として育てられた経緯があります。
しかし、幼い頃から耳慣れていた曲を暗譜で弾く事が容易に出来た私は、
譜面を見てその通り弾かなければならないクラシック音楽が大の苦手、
少なからず抵抗を感じていたのです。
そんな折、好き勝手に即興で曲を弾いていた私の姿を母が見て、
“この子はクラシックには不向きだわ!”
っと、強引に私をエレクトーンの世界へ放り込んでしまったのです。
当初、母の行為に戸惑っていた私ですが、最新技術が詰まった、
電気仕掛けの大きなピアノのオモチャを与えられ、 夢中にならない子供は
いません。 当然私もその楽器の虜になり、自由で個性豊かに演奏の出来る
世界にのめり込んで行ったのでした。
そして、その時出遭った先生が、Jazzの世界に私を導いて行ってくれたと言う
訳です。
初めてJazzの音を聞いた時のその衝撃は、私の人生を変えた、、っと言っても
決してオーバーではありませんでした。 無垢で真っ白だった私のキャンバスは、
たちまちJazz色に染まって行ったのでした。
これがキッカケとなって音楽の学校に進学したのですが、残念ながら、
結婚を機に専業主婦となり、 以前から抱いていた夢も萎んでしまったのです。
その夢とは、Jazzを勉強する上での最高峰、Big Bandのアレンジでした。

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