テニスとは、青空の下、声を張り上げ、思いっきり汗を流し、4人で作り上げるゲームがジャズのアドリブの
様に、どう展開して行くのか予想できない、スリリングでとても魅力的なスポーツです。
そして、ゴルフのようにハンディが存在する訳でもなく、レベルの差が歴然とする、
正に弱肉強食のスポーツ、
その上、本人の実力は言うに及ばず、パートナーとの信頼関係と協調が要求される、 とても厳しいスポーツ
なのです。
情けない事に、長年テニスに携わっている身にしては大して上達もせず、それでも一時は、熱心に毎週数回
のプロのレッスンを受け、 野心を抱いていた時期もあったのですが、ここ数年はもっぱら楽しむゲームに専念
している状態です。
そのテニスを、バンクーバーでも是非、続けたいと切望していた私は、手始めに、
Dunbarコミュニティセンター
で提供していた、毎週一回ゲームを楽しめるテニス同好会・一般の部に登録する事に決めたのです。
このセンターに登録をする前に、幾つかのテニスクラブを見学してみたのですが、おそらく、実力本位の排他
的なテニス界で、しかも、日本から来た得体の知れない東洋人の私を誰が誘ってくれるのか、一人前にゲーム
が出来るようになるまでには、かなり時間がかかりそうだと考え、入会を見送ったのです。
なぜならば、当時私は一日も早くゲームがしたかったからです。
Dunbarのカリキュラムは、週3日、月、水、金曜日の午前、9時からのクラスと10時半のクラス、そして、午後
1時の9つのクラスに分かれていました。それぞれがビギナー(このクラスだけ、コーチがHow to Playを教え
てくれる)と、それ以外のクラスに割り振られて、メンバーは其の何れかに登録をするのです。
決められた時間にテニスコートへ行くと、まず、キャプテンが20名ほどのメンバーにくじを引かせ、
その日の
自分のナンバーが与えられます。 そして、4面のテニスコートに16名は散らばり、30分交代でダブルスの試合
をするのです。くじに外れた人はベンチ・シッティングで おしゃべりをしながらプレーを見学します。
幸運にもこのクラスでも唯一の日本人だった私は、他のメンバー達とは英語しか通じません。
彼らのテニスの腕前は、 とても上手とは言えない代物でしたが、平素仕事をして、練習する時間や場所が無
い人たち、又、テニスが大好きな人々が集まり、 ゲームを心から楽しんでいる様子でした。
バンクーバーは至る所、パブリックのコートがあり、誰でも自由に無料で使えるのですが、 シリアスなテニス
やレベルの高いゲームを望む人たちは、プライベートクラブに属し、トーナメントやリーグに参加していたようです。
Dunbar時代のテニス仲間たちとParty: 誰がヒラリーかお分かりですよね?
見知らぬ土地で、見知らぬ人々と英語でテニスをしなければならないので、その緊張とストレスは大変な
ものです。
まず、 メンバー達の名前を覚えるのが一苦労です。一度に20人もの名前はナカナカ覚えられるものでは
ありません。
そんな時、ベンチ待ちしていた副キャプテンのヒラリーから、『その人の特徴をメンバーリストの名前の横
に書いて覚えなさい!』っと 、アドバイスを受けたのです。早速のっぽでめがねのヒラリーと彼女の名前の
脇に日本語で書きました。
バンクーバーの冬は、他のカナダの都市に比べればそれ程寒くはならず、雪も年数回降る程度です。
しかし、11月から3月に掛けて雨の日が多く、冬場のテニスは、専らインドアコートに限られていました。
それゆえ、アウトドア中心のDunbarのテニス同好会は冬の間はお休み。その間、テニス好きの人達は
自ら4人のメンバーを召集し、 インドアコートを予約し、夫々に冬のテニスを楽しんでいました。
バンクーバーのほとんどのプライベートクラブはインドアとアウトドアのコートを常設しており、夏は太陽の
下でテニスをし、 冬は天候に左右されないインドアでテニスを楽しんでいるのです。
暫く経つとDunbarで知り合った気の合う仲間でフォーサム (Foursome:4人組)が出来、私たちは冬の間、
ホテル等が所有しているインドアコートをレンタルして、毎週テニスのゲーム
をして楽しんでいました。
その仲間が将来、私の大切な親友となって行ったのです。 メンバーは私の英語の先生だったカナダ人の
エレノア(Elnora)、カナダ生まれのインド人のジト(Jeto)そして、 カナダ人と結婚していた台湾人のシルビア
(Sylvia)です。彼女達の事は、別の章で詳しくお話しましょう。
1年ほどDunbarでゲームをしている内、チャレンジの要素が少ないゲームに飽きて来た
私を、そのエレノア
が敏感に感じ取り、リーグ感覚のゲーム中心で執行されている40歳以上の女性達で構成されている
“ Masters” (マスターズ)と言うテニス協会へ誘ってくれたのです。
当時、私はまだ、39歳だったのですが、準会員と言う名目で入会させてもらいました。
MastersにはWomenとMenがあり、バンクーバー市をはじめとする、10以上の市で形成されるグレート・
バンクーバー全体の大きな協会でした。ここでも、実力により、レベル1からレベル4に分割されており、
それぞれのレベルの中での個人総当り戦で、数週間(一日3ゲーム)かけて競った最終総合獲得点で順位
を決めるのです。基本的にはダブルスのゲームなのですが、 これは、毎回パートナーを替えてプレーを
するので、個人得点となります。
当時、後日私が会員となる、リッチモンドにある プライベートクラブ(バブルコート4面を借りてやっていた)
へ行くと、其処には、コーディネーターがセティングした他の3名のメンバーが待っていて、夫々パートナー
を替え、3ゲームプレーをします。
このシステムは私にとって、とても有意義な経験でした。
なぜならば、週に一度とは言え、毎回、見知らぬネイティブのカナダ人たちと知り合いになれるのですから、
素晴らしい機会です。
何度かゲームをやる内に、徐々に顔見知りが増えて行き、その内の何人かと友達となったのです。
ある日、幸運にもWomen's Matersで知り合ったダフニー(Daphney)と言う女性からWestern
Indoor
Tennis Club(現在Sportstown)の会員権をバーゲンで譲ってもらうと言うチャンスが舞い込み、
ついに念願のプライベートクラブに入会出来る運びとなりました。
ここまで約2年!
この遠回りの道のりは、私にとって掛け替えの無い日々でした。
なぜなら、この2年間でナント多くのテニスプレヤーと知り合いになれた事か!
本当に素晴らしい経験をしたと思います。
その後も、彼らからは頻繁に誘いがかかり、80過ぎの愉快なおじいちゃんJackとスイス人のちょっと
へそ曲がりなJake、そして、律儀なドイツ人のHans は、Sylviaも交え、帰国する年までDunberのコートで、
冬だろうが夏だろうが、テニスを楽しんだものです。
Jack's 80 Years old 's Surprise Party
前列 左からハンス(Hans)・ジェイク(Jake)・ジャック(Jack)・シルビア(Sylvia)・私
テニス行脚 Part2へ続く