戦争と平和について
戦争がどうとかそういうことを語り始めたら、
きっと、想像できないほどの時間がかかるんだろう。
だから、そういうことをずっと語り合ってれば戦争をする時間もなくなるので、皆さん戦争について語り合いましょう。
これは私の案なんですがどうでしょう?
あえてベタなタイトルを付けてみた。
世間が9.11騒動でざわめいていた頃、
ラジオでアメリカ人のパーソナリティーがこんな事を言ってた。
「テロはモノじゃないんだ」
これは私なりの解釈なんだけれど、このパーソナリティーが言いたかったのは
「テロを撲滅だのなんだのといっているけれど、
テロには終わりなんか無くて、それを撲滅しようなんて言っていたら
永遠に戦争をしなければならないことになる。
ま、ヤツ(ブッシュ)はそれを欲しているんだろうけどね。」
てな感じのことなんじゃないかと思う。
終わりがない。
うん、そうかもしれない。
でも、それはダメだよ、絶対ダメ。
終わらせるにはどうすればいい?
ナイフを地面に落とせばいい。
核を保有しあっていれば
(ナイフを喉元に突きつけあっていれば)
お互い世界破滅を避けるために
(お互い死ぬことを避けるために)
核を使用することができない
(突き刺すために動くことが出来ない)
結果として世界平和は保たれる
(結果としてお互い死なずに済む)
これは、私の「核抑止論」についてのスピーチで核抑止論紹介の部分。
この一節の後には、世界平和とあるけれど、こんなの本物の平和じゃない、とか
つらつらと論に対する文句を並べ立てたのだけれど、言いたいのはそこじゃない。
どうやって、戦争を撲滅するか、だ。
たいていの人々は、戦争をしたがる人々を憎む。
憎んで、何か意味があるんだろうか?
憎んだからといって戦争は終結しないし、その憎しみから新たな戦争が生まれる可能性だって充分ある。
そして、これはしょうがないけれど、いつの時代にも、戦争をしたがる人はいるのだ。
話を戻そう。
核=ナイフ
ナイフを地面に落とす。
米露でなんだかんだとはもめているけれど、
核は、処分することが出来る。
武器をなくす。これが戦争撲滅への近道なんじゃないんだろうか。
武器をなくさなければ、ヒトは永遠に戦争し続けるだろう。
これはもう、しょうがない。強行手段。
ヒトが我慢できないから、武器を処分なんて面倒くさいことをやらなければならないのだ。
私だって、勉強しなきゃと思っても、遊ぶモノがあるから遊んでしまう。
話は変わるけれど、戦争についての曲を作って詩を付けたら、と言われたことがある。
私は戦争と音楽だけには胸がドキドキしたり熱くなるから、
詩を書くことが出来ない私には、戦争はもってこいのテーマじゃないか、ということらしい。
でも、戦争についての曲なんか考えたくもない。
世の中には、戦争や核以外にもっともっと美しくて素敵なモノがまだ、ある。
まだあるうちに、武器をなくさなきゃならない。