ヤスクニーズ
みなさんは御存知だろうか?
おじいさんぐらいの人達が、軍服に身を包み、靖国神社を行進しているということを。
最初、私はこれを知って「ゲッ」となったモノだ。
みんなだってそうだろう。きっと。
「何考えてんの?もう一回戦争やりたいわけ?危険人物だよ。キケン、キケン。」
でも、最近私の考えは変わった。
彼らを危険人物といってもいいんだろうか?
なかには本当にそういう人がいるのかもしれない。でも、全員がそうとは限らないんじゃないかと。
ここでは、彼らのことを「ヤスクニーズ」としよう。
ヤスクニーズのセーシュンは、「戦争」だった。
うちの父さんのセーシュンは、「バンド」だった。
私のセーシュンは。何になるだろう?
うちの父さんは、今でも「バンド」をやっている。
今でも、セーシュンしてるのだ。
ヤスクニーズも、今でも「戦争」のまねごとみたいのをやっている。
今でも、セーシュンしている。
同じことのような気がする。
たまたま、それがそういうことだっただけで。
ヤスクニーズは、今でも青春を謳歌している。
突撃のラッパを吹き、号令をかけ、行進をして。
そうやって、過去を懐かしんでいる。
おじさん達が、オールディーズを聴いて懐かしむのと一緒だ。
父さん達にとっての「長髪とロンドンブーツ」が、私達の「茶髪とルーズソックス」であるように
私達の「茶髪とルーズソックス」は、ヤスクニーズにとっての「武器と軍服」なのだ。
戦争は残酷だ。
戦争は、ヤスクニーズに人を殺したりするような悲惨な思い出を残した。
ヤスクニーズのセーシュンをあんなモノにした。
最悪だ。
ヤスクニーズに、残りの余生を幸せに生きてもらいたい。
セーシュンを謳歌してもらいたい。
2001年8月15日