これほど憂鬱な発表会前日なんて、今まで無かった。
練習だって、そんなにしてない。はっきりいって、もうどうにでも良くなっていた。
中学校最後のピアノの発表会。
一応、これで区切りをつけることになる。
辞めるか、休むか、細々と続けるか・・・。
あまりにいろんな思いが交差して、なぜか涙がぽろぽろ出てきて、止まらなかった。
私がピアノを始めたのは、確か5歳ぐらいの時。
まわりのみんながやっていて、何かかっこよかったからやりたくなった。
ドレミファも楽譜の読み方も弾き方も分からず、先生のところに行った。
とりあえず、ひいてごらん。
そう言われて、私はなぜか弾けていたらしい。
後で、「何で弾けたの?」という母の問いに、私は
「楽譜に番号(指使い)が書いてあったから、それに合わせてひいた。」
先生は、本当に良い先生だ。
まるで娘のように可愛がってくれるし、考えてくれる。
床にはいつも何かモノが転がっているし、セーターには毛玉がいっぱい付いているし、
朝御飯が夕方のレッスンの時にまだテーブルにあるし、レッスン中に一時間も電話をするし、スケジュールを間違えるけれど、
そんな先生が大好きだ。
教えるときは、その曲のイメージにあった写真や絵を見せてくれたり、
歌ってくれたり、踊ってくれたり、実演してくれたりするから、とっても分かりやすい。
あらゆる五感を集中させて、曲を読みとる。
これのおかげで、フィーリングが良くなった。
それに、先生のお手本をみて育ったから、どこかの発表会で
「目線といい、弾き方といい、身のこなしといい先生にそっくりだ。」と笑われた。
先生は、とにかくいろんな、たくさんのいい曲をひかせてくれた。
本当にたくさんの。
たくさんのいい音楽を知ったから、私はどんどん音楽に、ピアノにはまった。
小学校三年生の頃なんかは、ピアニストになると豪語していた。
そう、小学校三年生の頃までは。
その時まで、私にとって特技はピアノです、とはっきり言えた。
年数が経つにつれ、私は自信を無くしていった。
なぜだろう?
練習量が減少していった、だからだとおもう。
それに、私のピアノは、正確さ・派手さ重視の、いわゆるヤ○ハタイプではなく、
フィーリング重視で派手にパフォーマンスとかしないので、一般受けしにくかった。
そのうち、学校でピアノを弾いたりするのが苦痛になってきた。
もちろん、他でひくのは楽しくてしょうがなかったが。
学校というのは、何事も競争、比べられるところだから。
合唱コンクールの伴奏とかは、私にやらせていいのかよ。
もう私に、人前でピアノを弾く資格なんて無いよ。
という気持ちにさえなった。
そんなわけで、今回の発表会はそれがピークに達したのだ。
当日になっても、全然乗り気にならなかった。
やる曲のせいとかじゃない。やる曲は、大大好きだ。
どよんとした気持ちのまま、舞台袖に向かった。
少しでもテンションを上げようとして、馬鹿な冗談を友達と言い合ったりしたが、
うわべのテンションが上がるだけだった。
アナウンスの人に、名前を呼ばれる。
舞台に向かった。
途端、私の心が躍った。
先生曰わく「毛の生えた心臓」が、甦った。
私は、いつも、舞台に立つと練習の三倍は上手く弾けるのだ。
椅子の高さをなおし、鍵盤に手を置き、大きく息を吸った。
レッスンで習った、二小節分の大きな息。
音が鳴った。
思わず身体をビクつかせた。
すっごいいい音だった。
手が、別人のようになめらかに動いていく。
息も落ち着いていて、最高だった。
何かが乗り移ったかのように、きれいだった。
演奏が終わって、私は自分でびっくりしていた。
うそだ。何であんなに上手く弾けたんだ?
両親も、びっくりしていた。
全然練習やっていなかったのにね。練習の百倍ぐらい良かったよ。
この発表会のこともあって、私は、今でも細々とピアノを続けている。
今思うと、あの演奏は「ピアノを大切にしなさいよ。」というメッセージの込められた、
神様からのプレゼントだったのかもしれない。
確かに、こんなに長く継続してやっているのは、ピアノだけだ。
それを、つまらない気分の変化で捨てるなんて、やっぱりもったいない。
それに、今、他の何で音楽を出来るというのだろう?
一番やりたいように表現できる楽器はピアノだってこと、忘れちゃいけなかった。
最後に、私に音楽というモノを教えてくれたピアノと、先生に大感謝。
将来ピアニストになるつもりはないし、音高や音大に入るつもりはないけれど、
これからもピアノ、そして音楽を大切にしていきたい。